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砂の壁

日本からいちばん近い砂漠は、
内モンゴル自治区にある。
距離にして1500km、砂嵐の発生後、
数日で日本にも黄砂がやってくる。

そのことは知っていたけれども、
衛星写真から見た黄色い渦と、
地上からとらえた巨大な津波のような砂の壁は、
生まれて初めて目にした映像だった。

車がほこりっぽくなる。
洗濯物がざらざらする。
目がしばしばする。
喉がいがらっぽくなる。
空港が閉鎖する。

十分大変だと思っていたが、
現地ではそれどころではないのだった。
砂嵐が近づいてくると人々は逃げまどう。
中に入ってしまうと何も見えなくなり、
肺を傷め、何十人と死ぬことがある。
列車は窓が割れたり倒れたりする。

去年の旅では見学できなかったけれど、
砂漠の緑化になぜ取り組むのか、
モンゴルのセルゲレンさんの話を聞いて、
少しずつわかってきた。

砂はアメリカ西海岸に達してやっと消えるそうだ。
デジタルカメラの液晶画面にまで、
入りこんで壊すのだと聞いた。

近ごろはあれこれ、
極微の存在のほうが、
コワイかもしれないなあ。


カテゴリ: トラベローグ io 2009年05月22日(Fri) ご意見、ご感想 Permalink

星降る平原に

立てなかった。
結果的に、まる一昼夜、
起きることも歩くこともできなかった。
白酒の洗礼はまったく強烈だった。

すばらしいモンゴル音楽とご馳走のパーティーで、
あとは草の上に寝そべって天の川を見上げたよ、
と、あとで聞いたけれども、残念ながらきっと、
行ってもぐったり伏せっているだけだっただろう。

ホテルの人が部屋に運んでくれた、
大きなボウルにたっぷりのトマトと卵のスープを、
少しずつ、半日かけて飲んだ。
冷めて塩味が少しきつく感じられても、
それがかえって気持ちよかった。

午後やっと、
固形のものを口にする気になり、
豆腐を食べた。
日本の豆腐よりも少し固く、
大豆のにおいがする。
かけらにつけた醤油のうまみが、
体中にしみわたってほっとした。

新鮮な空気が吸いたくなり、
ホテルの窓を開けると、
二重窓の外は街の人々のにぎわいと、
ときどき車のエンジン音、そして警笛の音。

ほこりっぽいかな、と思ったけれど、
夕方のまだ少しあたたかい空気が流れ込み、
それには何のにおいもなかった。

 なにしてるの。

自治区は全域ワイヤード。
もはや草原のまっただ中でも、
携帯メールはサクサク届く。

 なにも。二日酔い中。

 モンゴルで?水飲めば。

 うん、そうする。

短い会話のあと、携帯は沈黙した。
ばさりと横になり、パソコンに向かう。
今夜の宴にはきっと大きな羊も出るだろう。

昨日、ゲルで私たちを迎えてくれたお父さんは、
かつては羊の脂とすい臓を混ぜてこね、
せっけんを作ったと言っていた。
丸い、上等なせっけんを。

そのことをメモしておかなくてはと、
今はもうなくなりつつある慣習について、
日本からやってきた酔っぱらいは、
よれよれしながらキーを打っている。
ちょっぴり指が震えている気がする。


カテゴリ: トラベローグ io 2009年02月22日(Sun) ご意見、ご感想 Permalink

重曹の町に行った

バスの走る道路は、
ときおりひどく損傷しているところがあり、
スピードをゆるめて乗り越えたり、
ハンドルを切って回避したりする。

冬の雪と凍結、
夏の乾燥と容赦ない日差しが、
道路を盛り上がらせ、ひび割れを起こす。
いつもどこか修繕していなくてはならない、
そう地元の人はぼやいた。

道路脇の景色は、
一面の草原というよりも、
むしろ瓦礫と砂の合間に、
少し緑の植物が混じる状態になる。
昔、海だったという平野の地平に、
その頃は岬だったのだろう、
突き出した丘陵の始まりを見つける。

延々と走った先に、
点のように見えた重曹工場があった。
少し遠くからは鉄の森のように見えた。

砂漠のただ中に、
資源採掘のための町がある。
人口約3000人。
工場で働く人々とその家族が暮らしている。
学校もある。
重曹町といえばいいのかもしれない。

町は、近づいたかと思うとみるみる大きくなり、
入る直前に、ほら、そこを見てごらんと、
砂漠の先を指し示すガイドの声がした。
そこにはらくだの群れと、
白っぽく地面から突きだした岩石の列があった。

あれがトロナ鉱石ですよ。
自然に露出している。

その光景に目をうばわれている間に、
バスの窓はコンクリートの建造物に囲まれた。

工場の関係者さんたちと一緒に昼食を取り、
鉱石を露天掘りしているところに連れていってもらう。
そこら中にころがっている白いかたまりを手にとると、
アルカリ特有の肌が荒れる感覚があった。

重曹や炭酸塩を作る最初の工程では、
水にトロナ鉱石を溶かして泥や不純物を取り除く。
トロナの山で働く半裸の人々がいたので、
ニーハオと声をかける。
黙ってこちらを見ている。もうひと声。
ハオ マ?(〔調子は〕いいですか)
すると顔を見合わせ、笑いをこらえながら、
プーハオ!という答えが返ってきた。

確かに大変そうでした。
体に気をつけてがんばってください。

そのあと、ひょんなことから、
落としたかもしれない携帯を探しに、
ふたたび鉱床に戻った。

誰もいない広い土地に、
幾重にも重なった白いトロナの層が見える。
なんだか、おおきなケーキのクリームのよう。

あと数十年すると、
この鉱床は掘り尽くしてしまう。
経営サイドは先を見据えて言った。
もちろん、中国内に他の鉱床が何本もあるので、
ここが廃坑になっても特に問題はないと。

でも目の前に広がる風景は、
五感を通じて強く記憶された。
風に吹かれる無言の大地。
切り取られている。
かき集められている。

モンゴル重曹は、
確かに大量にある。
しかし無限ではないのだ。
そのことがはっきりわかり、
大事に使わなくてはと、
改めて思った。


カテゴリ: トラベローグ io 2008年11月05日(Wed) ご意見、ご感想 Permalink

オボのこと。

ヒゲヅラにサングラス。
リスチンチョクトゥ氏は二人分のバスシートに、
少し窮屈そうに体を収め、首に小さな金の札をかけていた。
札は“ちょい悪オヤジ系派手アクセ”ではなく、
彼が行くいろんなところ、フリーパスの証なのだという。

冗談かと思った。
そういう通行手形って本当にあるのか。

国中どこでも出入り自由の金の札は、
世界帝国の時代から、
選ばれた戦士や芸術家に贈られてきた。
チンギスハーンの名のもとに、

 “これを持つ者に最大の待遇を与えよ”

モンゴル文字でそう書いてある。
途方もないマイティパスなのだ。
誰もが夢見る安寧と自由を一生涯保証する。

かつてある詩の大会で優勝し、彼は札を授かった。
しかし実際は大人の片手ほどもある重い大きな金の板で、
それではあまりに持ち運びに不便なので小型のレプリカを作り、
ペンダントにしているのだそうだ。

旅が始まってから、
詩人はずっと寡黙だったけれど、
トイレ休憩でバスの外に出て、
めずらしげに足元の植物や瓦礫を見ている私に、
突然、あの山が見えるか、と聞いた。

頭を上げ、指さす山を見た。
頂になにか石積みのようなものが見えた。

オボというのだ、と彼は言った。
昔からモンゴルの土地のそこかしこにある。
あれは神聖な場所という意味だ。
しかし近頃は金のためなら、
風土に適うかどうかなどまったく顧慮せず、
どこでも開発する輩を抑えるために、
私たちは決して荒らしてほしくない土地に、
あらかじめオボを作るのだ、と。

オボは古くから馬を駆る人々の道しるべであり、
祖先の霊宿る、自然な信仰の対象だった。
なにもない山や草原で、恋人たちは待ち合わせに使う。
あのオボで逢おう、という歌が流行ったこともあるという。

そのこと。

最初に教えていただいて、
強く心に残った。

それからもオボのこと、
たびたび思い出す。

詩人は私の中にも、
ひとつのオボを作ってくれたのだろう。
この先、この地をはるかに離れても、
必ず見つけて戻ることができる、
みずみずしい記憶の道しるべ。


カテゴリ: トラベローグ io 2008年09月12日(Fri) ご意見、ご感想 Permalink

砂漠化

ワンバートル先生は、
ポロシャツにチロル帽をかぶって現れた。
昔、日本に国費で留学なさっていた。
今もとてもきれいな日本語で話してくださる。
長い年月、太陽と風に当たった顔でクシャッと微笑む。
その様子はいつか行ったチベットの人々を思い出させる。

フフホトの町を出発し、バスはぐんぐんと進む。
北京五輪の影響で人々の出入りが控えめになっているという。
いつもなら、夏のツアー客が大勢いるはずの観光スポットに、
ほとんど人影がない。

本来のモンゴルの風景は、
まだずっと平原の先に行ってから見られます、とバートル先生。
え? 今見える広大な畑は違うのですか、と私。

先生は子供に言って聞かせるようにゆっくりと答える。
これらはみな、漢人によって拓かれました。
私たちは牧民ですから土地を掘り返すことはしない。
モンゴル人みなが草原で馬を駆り、羊や牛を飼うことで、
そこが砂漠になることはこれまでなかったし、これからもないでしょう。
しかし畑は別です。薄い表土を損ね、不毛の土地にしてしまう。
砂漠化の進行は、今いわれるように牧畜のせいではなく、
それを止めても収まらないのです。

言葉のはしばしに悔しさがにじむ。
伝統のライフスタイルを失わないでほしい。
それは極度に乾燥し、冷涼な大草原でモンゴル民族が切り開いた、
本当にそこにふさわしいLOHAS(健康的で持続可能な生き方)
なのだから。

お話をうかがいながら、ふとひるがえり、
温暖で湿潤な瑞穂の国からやってきた旅人の私は、
田畑を持つことを環境破壊ではなく、持続可能な営為に変えた、
先人たちの知恵と、それを受け入れた島国の自然を思う。
でも同じことをここでやってもLOHASにはならないのだ。
人間になにができるかはその場所の自然が決める。

旅の始めにもうお一方、同行くださる方がいる。
レスラーみたいな体型だけど、詩人で俳人のリスチンチョクトウ氏。

岩と草の入り交じる山間にさしかかったとき、
ハイ、トイレ休憩です、とバスが止まった。

リスチンチョクトウ氏とは、
外の空気を吸いに出て、初めて会話を交わした。


カテゴリ: トラベローグ io 2008年08月28日(Thu) ご意見、ご感想 Permalink

北京からフフホトへ

北京の交通量は70%制限されていた。
三割流入を抑えているのではない。
七割の車に対して移動を規制しているのだ。

オリンピック直前、
中国政府の神経の尖りようを示すような、
何重にも重なったセキュリティチェックを抜け、
第三空港から街に出た。

天安門広場に通じる地下道を歩いている頃、
喉の痛みを感じるようになった。
息を吸うたび、ひりっと粘膜が刺激される。
メンバーの中で、もともとアレルギー気味の人たちは、
とっくにマスクを二枚重ねしている。
私も一枚、借りることにした。

天安門広場は西日にあぶられ、
ほこりっぽく、混雑していた。
門や紫禁城をバックに記念写真を撮り、
すぐに引き返す。喉がガラガラだ。
マスクから盛大にすでに吸着したほこりのにおいがする。

空港で夕食を取り、夜になり、
ようやく省都フフホト(呼和浩特)へのフライトが叶った。

1947年に成立した内蒙古自治区は、
1949年の中華人民共和国成立に先んずる。
13世紀にチンギス・ハーンが大帝国を打ち立ててより、
むしろモンゴル民族は分裂を繰り返し、
多くの時を他民族支配の中で過ごしてきた。
内蒙古・外蒙古(現在のモンゴル国)という表現は、
清朝の頃に始まったという。

フフホトに暮らすのは、
ほとんど漢人だと聞いた。
内蒙古全体で見ても人口2400万人の80%は漢民族。
他にわずかに満州族、回族などもいるから、
モンゴル族は20%いない。

五つ星のすばらしいホテルだった。
風呂の水はふんだんに注がれ、
インターネットも電話も不自由なく通じる。

まだ、近代西洋文明のシェルターの中にいる。


カテゴリ: トラベローグ io 2008年08月24日(Sun) ご意見、ご感想 Permalink

モンゴル トラベローグ

すでに他のブログでレポートが始まっていますが、
メンバーで中国内蒙古自治区に行ってきました。
内モンゴルは、チベット、ウイグルとともに、
中国内に存在する主要な自治区の一つです。

CPPではモンゴル重曹を長く扱わせていただき、
その優しい使い心地に感心してきました。
また、輸入元である木曽路物産さんより、
製造・輸送の苦労なども多少漏れ聞いていました。

なので、一度自分たちの目で、
ちゃんと見てみたいと思っていたのです。
それらが生み出されるところを。
それらに関わる人々を。
そして、それら人とものを包み込む、
モンゴルの風土を。

総勢10人のメンバーが、
20個の瞳をもってモンゴルを旅しました。
ここでお伝えするのは、そのうちの2個、
ioの眼がとらえたモンゴル像に過ぎませんが、
私たちがいつもお世話になっている天然の重曹を、
縁あって与えてくださっている国のあり方、
そこに住む人々の暮らしや思いのなにがしかが、
みなさんに伝わるきっかけになればいいなと思います。

合わせてラボの他のブログも巡ってみてください。
そのうちみんなのモンゴルのコンテンツだけで、
どこかに内容を集結させるかもしれませんが、
今はそれぞれの記憶を、サイトのあちこちに種撒きして、
それらが自ら芽吹き、花咲き、風を呼ぶかもしれぬ様子を、
静かに見守りたいと思います。

ご意見、質問、情報その他、歓迎いたします。
コメントにはたくさんのスパムが入りますが、
掃除しますので気にせず利用してください。


カテゴリ: トラベローグ io 2008年08月24日(Sun) ご意見、ご感想 Permalink
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