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染谷商店さんと食用油のリサイクルについて

天ぷらやフライの残り油
やっぱり家庭での始末には困りもの
そんな話題をフォーラムで話し合っているうちに
食用油のリサイクルを行う染谷商店さんと
ポロリ、うれしいつながりができました
もう10年も前からこういった活動に
コツコツと心を砕いている染谷商店さん
活動に関わる方々のお話メモも再録しました
こんなふうに油がよみがえる方法
あったんですね……



【染谷武男さんと染谷商店さん】
 早朝の東京、墨田区。トラックやバンが工場に荷を降ろし、また出かけていく中、黄色いランプの小さな看板が路地奥の染谷商店さんのガレージ前に。「VDF給油所」それは、全国でも珍しい、廃食油から作った植物性ディーゼル燃料(Vegetable Diesel Fuel)のスタンドです。

  VDFはBDF(Bio Diesel Fuel:化石燃料ではなく、動植物から取り出した燃料の総称。クリーン・エネルギーとして脚光を浴びる。米ミズーリ州の空港では大豆燃料のバス200台を運行)の一種です。黒煙の発生量が軽油の3分の1、硫黄酸化物(SOx)を出さないうえ、燃費(トラックの場合、7km/リットル)と価格(80円/リットル)は軽油とほぼ同じです。みごと実用化したのは、にこにこ、とてもお話好きな染谷武男さん(66歳)。ちょうど10年前のことです。

 染谷さんは届いたばかりの宅配便の箱を開けて見せてくれました。贈答用の封を開けていないサラダ油缶。何年か前にもらったままなのか容器はところどころ錆びています。
 「全国からどんどん届きますよ。ウチを知ってる人たちからね。もちろん揚げ物をしたあとの油もビン詰めで送ってきます。こういうの、捨てるに忍びないと思う人は確かにいるんです。それぞれの身近な場所で油の回収・再生がこまめにできるようになれば、もっとリサイクルは進むはずです」

  たとえば町の公民館、チェーンのお総菜屋さん、ファミレスやスーパー、ガソリンスタンドに、その地域の住民に向けて、染谷さんのところのような回収と給油のシステムがあったらどうでしょう。環境の観点から見ると、廃食油の処理問題は非常に大事です。油たったの大さじ1杯が川や海に流れ込むと、魚が住めるほどに汚れが薄まるには風呂桶10杯もの水が必要になります。市販の凝固剤で固めても油のゴミは焼却炉の厄介もの。今、廃食油40万トンのうちの半分は業務用に使われ、最後は染谷さんのような廃油処理業者に引き取られ処理されていますが、残り約20万トンはリサイクルされないままです。ましてや家庭用食用油をや。“都会は食用油の油田”といわれるゆえんです。

 もし、日本の廃食油をすべてVDFにリサイクルすれば、20万台の車を走らせることができます。ドイツでは一般のガソリンスタンドでもBDFが販売され、メルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲンではそれにきちんと対応する車作りをしています。日本の車メーカーは少し前まで植物燃料を例外扱いしていましたが、今は規格を作って認めていこうという風向きになってきました。そういった追い風を受けて、このところ、いろんな地域で食用油のリサイクルに参加する人が増えています。染谷さんの地元の墨田区でも、自治体と染谷商店の連携で、2年前に家庭用の油の回収・再生ネットワークが完成しています。

 おもしろいことに、こういった活動はおとなりさんにも勇気を与え、飛び火するようです。墨田区を見ていて、隣接する台東区が油の回収を始めました。自由が丘の油回収とVDFによるバス運航を見ていて、今度は二子玉川でも高島屋さんを中心に同様の動きがスタートしています。他にも、所沢、佐倉、などなど。VDFの個人会員さんも約200名いるそうです。

 染谷さんは、「レシーブ&サーブ」という言葉をよく使います。そのほうが感覚的にしっくりくる、世の中、本当は〔ギブ&テイク〕ではないと実感するのだそうです。「VDFを実際に始めて〔ギブ(与える)&テイク(奪う)〕という考えはおかしいと、はっきり思うようになったんですよ。誰も油を与え、奪うことはできない。油はぐるぐる回っている。姿を変え、用途を変え。人ができるのはただ一つ、それを受けて(レシーブ)、渡す(サーブ)ことだけ。でも、それがこんなにも楽しい」

 もしも思い切ってVDFを研究開発していなかったら、毎日つまらなかっただろうと染谷さんはいいます。「自分の仕事として見たとき、同じ廃油処理業でも回収した油から飼料や粉石鹸にして卸しに渡すのと、自らVDFを製造するのは全然違うことだと感じます。下請けがいつも夢みてきたのは、エンドユーザーさんに直接使ってもらえる最終製品を作れることなんです。今、ここには、私たちの産み出したもの(VDF)を求めて買いに来てくれる人々がいる。VDFのプラントも、欲しいという人に渡していくことができる。

 私の親父は自転車で油の回収を始めたのが昭和24年、私が中1のときです。最初は本当に細々とでした。親父の仕事する姿を見ていると切なくてね。私も卒業してすぐ手伝い始めた。そこからスタートして50余年、いろんなことを経験しましたから。VDFには、すぐには採算が合わなくても、なんとなく確信があるんですよ」
 VDFは今、少しずつ野に広がり、花咲いているところかもしれません。そして、その野に立つ染谷さんの足元は、いつもしっかり、お仕事のゴム長なのですね。(^^)

染谷商店
〔http://www.vdf.co.jp/〕


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【“最後の廃油業者” ダイアテック松尾春樹さん】
 私はもともとクレーン車のメーカーで営業マンをやっていました。クレーン車に使われているエンジンはすべてディーゼルエンジンで、中には黒煙をもくもく吐く機種もあり、ユーザーより何とかならないかとの相談を受けたりしてました。

 そんなある日、雑誌で染谷商店さんの記事を見たのです。「黒煙減少、無改造で給油可能」そんな言葉に心を引かれました。もっとも感動したのは捨てるのに苦慮する廃食油からつくられるということです。つまりゴミからつくられる燃料で車が走るなんて、すごいことを考えた人がいるもんだと思っていました。

 しばらく時がたち、私がサラリーマン生活に別れを告げる日が近づいていました。どうしても自分で事業がやりたくて、いろいろな事を模索してました。そのとき、私の知人であるハンバーガーショップの経営者と話をしていて、廃油の処理に困っているということをききました。廃油といえば、と、テンプラ油からディーゼル燃料をつくってしまった人のことを思い出し、さっそくコンタクトをとり、染谷商店さんの計らいで、もし廃油を集めるのだったら引き受けますといっていただけました。VDFについても詳しく知るうちに、植物からつくられるから生態系のリサイクルになるとかいろいろ利点がわかってきて、ますますとりこになってしまいました。染谷会長や長女ゆみさんのもっているやさしい雰囲気もあるかもしれません。

 会社を興した神奈川県は、もとの会社で営業を担当していた地域です。自分の故郷というわけではない。でも独立するにあたって、住むにも仕事するにも条件がよい場所に思えました。それに最初から廃油業者一本でやろうと思ったわけではありません。独立にはいろいろな事業を考えたし試みたけれども、フタをあけてみると、実にこれが採算のとれるいい仕事だったので、徐々にそちらに比重を移していきました。

 わりに昔カタギの一匹狼みたいな仕事をしている人が多い業界なんです。トラック一台で馴染みの大手を回る。約束時間も引き取る量も手前勝手。そういうところに飛び込んでいったから、僕にとっては戦略を立てるのは容易なことでした。

 今まで相手にされてなかった小さな店も丹念に回って挨拶をして名刺を置いていく。ソバ屋さんとか、天プラ屋さんとか。一日30軒は飛び込みで営業した。自然の種蒔きみたいなもので、とにかく数打ち当たる方式。相手任せであるとき突然電話がかかってくるんです。この前の油の件だけど溜まったから待ってる、と。そしたらもうイタダキです。少量でもこまめに回る。一つ一つの店からは小さな量でも、集まれば大手に負けない量になる。

 こうしてまったくの素人だった私が廃油回収を事業としてはじめて、最初に回収にまわったのが平成8年9月でした。たった7軒しかなかった顧客も、いまでは数百軒をこえるようになりました。そして平成9年2月からは、VDFをより多くの人につかってもらおうと、横浜市青葉区に給油所を開設しました。

 僕、自分のことを「最後の廃油業者」と呼んでるんです。事実おそらくここ最近、何の縁もないのに20、30代そこそこで敢えて廃油業者になったヤツなんて誰もいないはずだから。でも本当は、僕のようなのがあちらでも、こちらでも出てきて、日本全国で油の再利用が始まればいい。今始めれば廃油業としては最後でも、VDFでのリサイクルという意味ではかなりの先発業者ですよ。(笑)

 自分がVDFに関わり始めて思うのは、リサイクルとか、環境保全とか、あれこれ意義を述べようと思えばそういうものはいくらもあるけど、まず何か動いてみることが一番力になるし、体験すると楽しいとわかると思う。僕も始めたときは、儲かるとか地球環境のためにとか、全然頭になかった。難しいことはわからないけど、ゴミとして捨てられるはずのものがもう一回命を得て蘇る、すごいじゃないか、という感動だけで新しい世界に飛び込めたし、それがここまで連れてきてくれたと思う。

 車はなくてはならない物です。その車をゴミで走らせる、畑からつくったもので走らせる。これってものすごくおもしろいですよ。そんな感覚的な部分からこの仕事にのめりこんでいるのです。こんな自分でわくわくするような事を仕事にできているのですから私は幸せものです。

(有)ダイアテック
廃食用油回収・VDF給油(要予約)
横浜市青葉区鉄町1739-1
電話045-973-8741


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【染谷ゆみさんと(株)ユーズさん】
 初めて松尾さんが店に来たときのことは、とてもよく覚えてますよ。ちょうど2人、神奈川の人が話を聞きたいといって来た日だったのです。そのうちの一人が松尾さんでした。もう一人はディーゼル車にVDFを給油に来た人で、松尾さんは関係ないガソリン車に乗ってきてました。だいたいの説明が終わると給油の人は帰りましたが、松尾さんだけ残って話を続けたのです。

 廃油を集めてくると染谷商店で引き取ってもらえますか、と聞くので、いいですよとはお答えしましたが、その時点ではまさか自分で事業を興してしまうとは思いませんでした。ただその時、「油の入り口と出口ができますね。これで完璧だ」としきりに彼が喜んでいたことは、今でも記憶に残っています。

 その後の事業展開は、もう一人で廃油集めをやってる業者さんと並ぶくらいの量を取り扱うようになってますし、VDFの給油も始めた。彼は優秀な開拓者ですよね。いろんな工夫やアイデアもあるし、生協などの新しい市場も見つけてくる。パソコンで宣伝したりするようなところも、古いやり方の支配するこの業界では驚き。前に彼が独立する前から親しくしている飲み屋さんへ行ったとき、偶然、以前の取引先の社長さんがはいってきてこんなこと言うんですよ。 「いやあ、実は、松尾くんの会社、潰れないかなと思ってて。(笑)そしたらうちにおいでよね」引く手あまたなんです。人に好かれる才能っていうのかな。営業力あると思いますね。

 VDFを事業的にやりたいという人は、年に10人は来るでしょうか。本当に実現してしまった人は松尾さんが最初ですね。ポイントはもちろん、事業を始めるにあたっていろいろな問題をクリアする根気でしょうが、廃食油を集められるシステム作りができるかどうかが中でも一番大きなハードルなのだと思います。

 今、廃食油の引き取り注文があったとき、東京方面はうち、神奈川方面は松尾さん、というふうにどちらも仕事を分担してやってます。毎日のように電話かかってきますし、よくうちで話していきますよ。

 ダイアテックの2人の従業員さんは、一人は松尾さんの同級生の専務、もう一人は引き抜いてきた人だと聞いてますが、やはり松尾さん主導でがんがん引っ張ってるという感じですね。廃油業者になったといっても、それで満足しているわけではなく、松尾さんの目指しているのはもっと高い理想(油の完全なリサイクルシステム)ですから、計画の第一歩をまずは順調に歩んでいるというところではないでしょうか。

 松尾さんや私も含め、染谷商店に関わる若い人達が自由に工夫するのを会長(染谷武男さん)はにこにこ見ているという感じです。あまり口出しはしない。みなにある程度共通の理念があれば、方法は各自あれこれトライしてみればいい、という方針です。

 捨てられる運命だったものがもう一度よみがえるという技術から始まって、いずれは自然環境をもっと積極的に守り、育てることにも関っていきたいというのがうちの念願でもあったわけで、(株)ユーズという会社も興したんですよ(若さのYOUTH、あなたのYOU、油のゆ、ゆみさんのゆ、などいろんな意味が含まれている)。家庭用の油の回収は、ここで受けています。

 けっこうチリツモで、一日に必ず何件かは家庭で使われたテンプラ油や、いらないサラダ油の缶詰めなどが送られてきます。気が付くといつのまにか事務所が油でいっぱい、なんてこともよくありますよ(笑)。今、本と森の交換はお休みしていますが(本ばかりいっぱい集まってバランスがとれないので)、油と森の交換は今もOKですので、クリーン・プラネット・プロジェクトからやってくるみなさんも、どんどんどうぞ。

 昨年は、墨田区の活動で、ミヨシさんにお願いしてPB商品で「墨田っ子」という石けんを企画し、販売にこぎ着けました。墨田区のテンプラ油からはVDFに、だけでなく、石けんにもリサイクルするようになったということです。残念ながら、区外では手に入らないですが。これからは、油の処理のプロとして、古くて新しい石けん作りという手法にも光を当てていきたいなと思っています。

◆家庭用の食用油の回収については
(株)ユーズ
〔http://vdf.co.jp/u_s/〕


◆ユーズのショップとその周辺の様子を写真で見ることができます
ユーズの森の探検隊
〔http://vdf.co.jp/tankentai/〕
「第2回こんにゃく稲荷通り第2部」


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【さてさてVDFで本当に車を走らせてみました】
by 必殺試乗人・吉永靖昭

 ちいさい頃、僕はコロッケとイモの天プラが大好きで、オフクロは二十も三十も作っては「残ったら明日のお弁当にするから」。翌日弁当のオカズは…いくら好きといっても…。食べ終わり、片付けをしながらオフクロが「コノ油、溝に流してきて」。僕は冷めた油を下水に流しに行った。…リサイクルなんて事が存在しない十数年前…。

 只今、私は三十歳。車の営業をやっている。でも今日から三日間はクルマを売ることは無いだろう。とあるお祭り。わけも解らず参加。事の始まりは私のお客様でもある出展者に、以前話に聞いたVDF燃料を「お祭りで、試乗会ができたらオモシロイんだけど」と頼まれ。私はカルく賛同した。

 当日パシフィコ横浜へ会場入りする。正直言ってここで何をすればいいのか解らない。とにかくあちこちコンピュータだらけ。アナログの私はとりあえずポカンと天井を眺め、「こりゃダメだ」ここから初日がスタートした。

 バタバタしている依頼人、「じゃあそろそろ染谷さんのとこに行ってきてもらえる?」「場所はねぇ…墨田区の…」。まぁこのあいだ場所聞いてたから。それでも墨田区ねぇ…。

 片道燃料のオフロードカーで石川町ジャンクションから首都高速にのった。ベイブリッジ、翼橋、羽田湾岸ストレート・ライン。ここまでは鼻歌まじり。大井南、葛西ジャンクションで渋滞に揉まれ…2時間45分。…やっとの思いで現地着。「スイマセン、お祭り試乗用にVDF満タンに、と言われて来た者ですけど」。事務所の二階から元気のいい女性が降りてきた。「聞いてますよどうぞ、車はあそこに着けてください」。私は女性だと聞いてはいなかった。彼女は染谷さんのお嬢さんで、ゆみさん。しばし雑談をし、多忙にもかかわらずVDFのプラント工場を案内してくれ、質問のひとつひとつに答えてくれた。プラントを最初に見たとき。「こんなところでホントに作ってるのかな」外見は民家という感じだし、造り酒屋みたいで、とても化学プラントとは思えなかった。

 VDF燃料を満タンに入れ「いくぜ我がオフロードカー」…のったが最後湾岸線。渋滞…葛西まで14km…。葛西を越えるとオールクリア。VDFを試すため車にムチ打つ、問題なくメーターは素直に150を指した…2時間半ヘトヘトで帰り着いた。まずホンキで自分がVDFと関わった初日。

 二日目、午後1時会場入り。正直な気持ち「ホントにこんなとこで試乗する人いるのかね?」そう思うのも束の間。興味深くVDFのチラシをみてた男性から声がかかった。「その車乗せてもらえますか」私は緩めのネクタイを締め直して「どうぞこちらです」…。

 …三日間、当初自分の予想とは裏腹に、なんと二十名以上の人たちが試乗を申し込んできた。男性、女性、グループ、カップル等々、私は会場と試乗車の間を行ったり来たり。
 
 誰もがキーをひねった瞬間「スゴイ! かかった」。私は助手席でニッコリと「好きに走っていただいて結構です」。質問の雨あられ「これホント廃油から作ったんですか? 車に影響とかないんですか? エンジンに改造はしてないんですか? 軽油と値段は変わらないんですか? パワーが落ちると思ってたけどこれ普通ですか? 黒煙が減るってホントですか? 加速も高速道路も問題ないですか? 燃費は変わらないんですか?……言われなきゃ気付かないですよね!」全ての問いに対して私は一言だけ「ハイ!」と自信をもって答えた。

 エンジンをかけたまま、車から降りていただき「マフラー嗅いでみて下さい」と勧める。誰もが「うわぁホント天プラの匂いがする」。私は「ゴハン持ってきましょうか」爆笑。…みなさんそれぞれの思いを抱いてキーをOFFにした。私は試乗いただいた方に言う。「今日、VDFに関わったことが二十年先自慢話の一つになりますよ」きっとそうだと、未来に望みをかけて。  

 試乗会を一緒に担当してくれた松尾さん。本当に楽しそうに仕事してるな、という印象を受けた。自分も営業という商売をやってるせいか、相手の目を見て話すのがクセになってる。彼は目に一点の曇りもない。今の自分の仕事に自信をもって力入れてやってるんだと思った。

 初めてVDFのクルマを体験したお客さんは、全員、VDFはパワー的に軽油に劣ると思っていたようだ。加速もそうとうアクセルを踏み込まなくてはダメではないかと思いこんでいた。だから皆乗ってビックリ、走ってビックリ。そうなると、必ず全員が質問したのは、燃料の単価についてだった。軽油がリッター72円、VDFが80円だというと、あとは給油してくれる場所の問題となる。試乗車はあのあとそのまま使われました。いっときVDFで走っていたことを、他の営業マンたちは乗ってて全く気がつかなかった。オモシロイもんです。

 夢を追っている染谷商店のゆみさん、松尾さん。エコロジーなんて使い古された言葉のさらなる先を見据え一生懸命、前へ進んでいる。
 この三日間、試乗車をひっさげて、祭りに参加出来たことは有意義だった。


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